あなたに、CHANGEは
どうお役にたつか?

あなたは、今、どうですか?
生きることとは、まるで悩むことのようで、人は悩み、変わりたい、よくなりたいと思います。

そして、変われない、よくなれない、どうすればいいのか、どうにもできない、と悩みます。

もし、あなたが悩んでいたら、CHANGEサポーター・森信人(しんじん)が、あなたの「変わりたい」を本気で支えます。

私は、あなたの「変わりたい、よくなりたい」という願いに、人生のどん底をくぐり抜け、そこから再生してきた経験と、『自分』を変え養うために学び得たことをもとに寄りそいます。

今から、このページでは、変わりたいあなたの役にたつように、私自身のこれまでの歩みと、あなたに届けたいサポートを紹介します。

子どもの頃から、人間関係が苦手で、明るくふるまいながら、いつも心はどこか冷めていました。過敏性腸症候群やパニック障害にも悩まされました。

社会に出てからも、会社員、起業家として表面的な成功を得ても、「人に嫌われているかもしれない」という思いがつきまとい、不安と自己否定が心の奥にいすわっていました。

2度目の結婚生活が破綻して、当時3歳になったばかりの娘と二人きりになって、鬱病になり、会社を締め自己破産しました。

幼い娘と二人、頼れる身内はおらず、お金はぎりぎりになり、毎日の食事にも困るどん底の暮らしになりました。怖さと鬱病と自己嫌悪で「もう、生きていたくない」と頭に浮かぶようにもなりました。

東京・中野の新井薬師

毎日、押しつぶされそうな心を静めるために、近所のお寺に一日に幾度も行って、繰り返し繰り返しお参りをしては、境内のベンチにうつむいて座っていました。

ある日、うつむいていた私の手を、幼い娘が、ぐぃっぐぃっと引きました。

「パパ、あそぼ!」
「パパ、あそぼ! あそぼ!」

顔を上げると、そこには、いつも私の隣りで一人で遊んでいた娘の真剣な顔がありました。申し訳なさが込み上げ、涙が止まりませんでした。

私は吹っ切れたように立ち上がり、娘を肩車して、境内を歩き回りました。「わっしょい! わっしょい!」。泣きながら、笑いながら。

見上げると、桜の木に小さなつぼみがふくらんでいました。

娘と歩いたその時間は、止まっていた人生が再び動き出したような瞬間でした。あの春の日を、私は一生忘れません。

境内で娘と「わっしょい! わっしょい!」と、泣きながら、笑いながら歩いた、あの日、私は「このままで終わりたくない」と決意していました。

でも、考え方を変えたりすることは、鬱病でしたし困難。私は、ただ、思いついた、あることの繰り返しを、娘と二人暮らしの中で始めました。

変われた今、よくわかりますが、悩み苦しんできたときに変わるには、手順があります。

頭で「考え方」を変えて変わろうとする以上に、したほうがよいことがあります。

ポジティブシンキング、前向きな考えは大事です。なぜなら「思考は現実化」します。だけど、悩み苦しんできた場合は、その前に、またはそれと並行して、したほうがよいことがあります。

私は、レイキというヒーリング技術をできるようになっていたので、レイキでセルフヒーリングを徹底的にするとともに

しはじめた時は、この取組みが心理カウンセリングのノウハウとしてふさわしいとは、私は知りませんでした。

私は偶然、この取組みを思いついて始めました。それを一人のとき娘と過ごすときに繰り返しました。

一本の電話がかかってきました。「1回8万円の研修講師をお願いできませんか?」

講師なんてしたことがなかったのに、1週間後になれてしまいました。

貯金は底をつき、もう駄目だと思っていて私が、思いもよらず、突然、経験もなく、1回すれば8万円の講師になれたのです。

実は、講師は「なってみたい」と思って、「なにも公的な資格がないから、無理」だと思ったことのあるものでした。

見えない何かが人生を後押ししてくれたかのようでしたが、今ならわかります。私にプラスの引寄せが起きたのでした。

そして、その「ある取組み」をさらにただただ続けていると、鬱病も消えていきました。

私は、思いました。二度とどん底にはなりたくない、私が変わらずにいたら一緒にいてくれる娘をダメにしてしまう、もっともっと変わりたい、変わらなければ、と。

そして、知りたくなりました。

  • 「どうして上手く生きられなくなったのか?」
  • 「どうして、心の病にもなったのか?」
  • 「人はなぜ苦しみ、どうすれば変われるのか?」
  • 「どうすれば、思うような人生を送れるようになれるのか?」

カウンセリング、コーチングを正式に学びました。資格も取り、カウンセラー、コーチになりました。

カウンセラーになって、自分のした「ある取組み」を元に、セルフカウンセリングができる仕組みをつくり、相談者に渡すと、とても喜ばれるようになりました。

予想もしなかったチャンスも次々に舞い込み、私自身がサポートする側になる道をどんどん進めていくことになりました。

脳科学や量子力学、マインドフルネス瞑想、引き寄せの法則やスピリチュアルなどの学びも深めて、サポートの幅を広げていきました。

気づくと、変わりたくとも変われないと悩み続け、鬱病になってどん底までいったことのある私が、1万人以上の人の変わる・よくなるサポートをすでにしていました。

人は変われます、人生は変わります、よくなれます。あなたも!

さて、波動・エネルギーが高くなっていると、自分の本質の向上に必要なことが、おのずと引き寄せられてきますが

ある日、散歩をしていて、たまたま禅寺で開かれていた会に参加して、話を聴きました。観音菩薩の前世の話しでした。

三十三間堂 観音立像

翌日、私は禅僧になると決心して、そのための行動を始めました。

2500年以上の歴史のある仏教は「抜苦与楽(ばっくよらく)」と言って、「人の苦しみを抜き去り安楽にする」もの。

私は、その仏教を学んで、いっそう人が変わり善くなるために尽くせるようになりたいと考えました。そうして禅の世界へと身を投じたのです。

専門僧堂に入り暮らすため、一度、すべての業務を停止しました。

不思議なご縁が重なり、私は曹洞宗の元トップ・板橋興宗禅師の弟子にしていただくことができ、禅師様の元で出家して僧堂に入り、禅僧としての修行の日々が始まりました。

板橋興宗禅師…

毎日が、坐禅と作務の連続。起きている時間のすべてが「気づき」であり「修行」であり「自己との対話」でした。厳しいけれども静謐な日々の中で、私は、心の奥のもやが晴れていくのを感じました。

僧堂での修行を終えた後も、私は仏教の探求を続けました。

「釈迦ブッダがしていた瞑想とは、どのようなものだったのか」、その答えを求め、私は東南アジアのミャンマーへと修行のため旅立ちました。

その瞑想法は、流行するようになっていたマインドフルネス瞑想の原点でもありました。

朝から晩まで、初期仏教と言われる上座部仏教(テーラワーダ)の本格的な瞑想法に取組み、静けさの中で「気づき」の力を育て続ける生活。

やがて私は、「無我」「無常」「苦しみからの解放」という直覚的な悟り・真理にも触れ、自分の内側、本質から大きく変わりました。

帰国して、従来のカウンセリングなどを始めるとともに、禅の修行、ミャンマーでの修行経験を生かして、本来のマインドフルネスの瞑想のWeb講座を開発して始めました。

また、瞑想の実践は霊性を高めることから、私はその面がいっそう高まり、ますます安心・喜び・幸福に人生が好転するようになったので、霊性・スピリチュアルな向上も含めたサポートを始めました。

変わりたいと願っているあなたは、もうすでに、変化の入り口に立っています。

かつての私も、光が見えない場所にいました。でも、小さな積み重ねが、人生を確実に変え、よくしてくれました。

私は、人生のどん底をくぐり抜け、「心の癒し」「気づき」「変化の力」を、身をもって体験してきたからこそできる——魂にふれるようなサポートを大切にしています。

私は、あなたの「変わりたい」という願いを、心から応援します。一人で頑張りすぎなくて大丈夫。一緒に歩く誰かがいるだけで、心はずっと強くなれます。

あなたが、あなたらしく、軽やかに、前を向いて生きていけるように。そのお役に立てたなら、これ以上の喜びはありません。

下記のボタンをクリックして、ぜひ、ご提供しているサービスをご覧ください。