救いは神にある。イエスはそう説いていました。それを、イエス亡き後、人間のエゴにより、救いはイエスにあると言い、救いを独占しようという人間が現れるようになりました。
そして、残念ながら、神は愛、イエスは愛なのに、キリスト教にはその独善性、排他的エゴにより、そう考えない者、自分のその考えと相容れない者をを排他し殺害もしてきた歴史があります。
これは人間の躓き(つまずき)であって、イエスはずっとこの躓き、躓いている者たちを悲しんでいます。イエスはずっと躓きに気づき、あらためることを待っています。
イエスは、救いは神にある、エゴに生きる的外れの罪を回心、方向転換し、神にむかい生きよと説いていました。
そして、キリスト教だけでなく、どの宗教においても、初めの者は同様のことを説いていました。エゴに生きる的外れを回心、方向転換して、神にむかい生きよと。
それをどの宗教も多くは、初めの者の真意をわからず、自分たちが救い、恵みを独占せんと初めの者を神格化することをしました。
初めの者はどの者も、独占とは真逆、神様が我々人間、生きとし生けるもの、地球を愛し善きようになるようにと遣わしてくださったのに。
神は、我々の世界に神にむかう様々な道を開いてくださっています。それは様々な宗教であり、また宗教とは限りません。
人それぞれ、それぞれ人生の縁により、その道を進むことができれば善いのです。エゴに生きる的外れではなく、神にむかい生きていきる道を。
道によっては『神』という名称を使いません。ユダヤ教、キリスト教でも本来はただ『我はある』というのがいわゆる神です。
世界に平和を
アーメン